「受験生ら刺傷 高2逮捕 共通テスト 東大前 殺人未遂容疑」 朝日新聞 2022.01.16 朝刊1面
―記事概要
1月15日の午前8時35分ごろ、東京都文京区の東大弥生キャンパス前の路上で、共通テストを受験に来た高校生2人と男性1人が相次いで刺され、その場で高校2年生の少年(17)が現行犯逮捕された。
少年は前日に名古屋から夜行バスに乗って上京し犯行に及んだが、東大までの途中の駅で着火剤に火をつけた疑いがあることも判明。
また、所持品には可燃性の液体およそ3リットルのほか、ナイフや折り畳み式ののこぎりがあった。
少年は、
「医者になるため東大を目指したが、約1年前から成績が上がらず、自信をなくした」
「医者になれないなら自殺しよう、人を殺して罪悪感を背負って切腹しようと考えた」と話しているという。
3人を刺したあと、「来年、東大を受ける」などと大声で叫び手に持っていた包丁を投げ捨てたあと、その場に座り込んだところを駆け付けた警察官によって身柄を確保された。
刺された3人はいずれも命にべつじょうはなかった。
―コメント
「これまでがんばってきた勉強の成果を出す大事な日。被害者もがんばってきたのに・・・」
35面にある関連記事に、同じ会場でテストを受けにきた学生のコメントが載っていました。
このたった1回(複数受験する場合は1回とは限らないが)でこれまで培った知識や思考力のすべてが評価される。
わたしもむかし経験しましたが、これってすごいプレッシャーです。
このプレッシャーに押しつぶされると、今回の事件のようなことが起きます。
一方、幼児期から青年期の大半を費やして臨んだ受験を制したところで、実際に社会に出たときにあまりその成果が生かされない現実もあります。
今だいじなのは社会の持続可能性。
「自然環境と人とがいかに共存するのか」
「そのために“人社会”をどのように秩序づけるのか」
「そのために大人は何をすべか」
「高齢者はどうあるべきか」
「若者にはどういった力を育成すべきか」
といった、“目的と手段”の関係を再認識することが必要なのかもしれません。
恐らく、今とこれからに必要なのは、「入るのが難しい大学」ではなく、力量がついてないと卒業できない「卒業するのか難しい大学」だと思います。