「公立校教員 2065人不足 文科省調査」 朝日新聞 2022.02.01 朝刊1面
―記事概要
文科省の調査では、全国の小中高での教員の不足が昨年5月1日時点で2065人に達していたことがわかった。
原因として、産休・育休・病休など休職者の増加、教員志望者の減少、特別支援が級数の増加のほか、教員採用試験が低倍率で合格しやすくなり、主に不合格者が担ってきた臨時的任用教員や非常勤講師が足りないことを挙げる教育委員会が目立つ。
―コメント
教員が足りない原因として休職者の増加を挙げているが、そもそも母数が少ないことが原因でしょう。
産休・育休や病休などを見越して教員数を設定していれば、こういった問題は起こらないと思います。
では、母数の設定を増やすことは可能なのか?
教員枠を増やしても成り手が集まらないのであれば、そこが問題なんだと思います。
なぜ成り手が少ないのか?
教員は魅力的な仕事ではないのか?
子どもに教育を施し、人を育てることは面白くないことか?
恐らくそうではないはず。
教員の魅力を削いでいるのは、教員制度やモンスターペアレントといった存在も多分にあるのでは?
性格や体格が違うこどもたちが一律に「いい成績」という目標を目指し、テストの点数で優劣を評価される今の教育では、それに適わない子どもは惨めで悔しい思いをする。
そういう子を持った親は、わが子にあたったり先生にあたったりする。
先生も先生で辛い。
ただ、優秀な学校を優秀な成績で卒業し有名な大企業に就職したところで、人として立派に育つとは限らない。
教育を学校だけの問題として捉えるのではなく、学校での教育を「人づくり」のための初頭プロセスとして捉え、企業や地域社会と連携した教育システムにすることも一考の余地があるのではないだろうか。
確かにこれまでは企業中心・経済中心の社会だったけれども、最近はひと中心・人権ありきの社会に変わりつつあるわけだし。